ドイツ最後の夜。

※酔っぱらいの戯言です。
                            
                                                                         
今回本当に運良く学会と共同研究へ(やや強制的に)連れて行ってもらったんですけど、
やはりわたしは研究者にはなりたくないと思いました。

研究者に求められる根気強く粘り気のある勤勉さ。
わたしにはそれが皆無だというのがよーく実感された2週間でした。

逃げだという自覚はあるけれど、いかんせんわたしには勤勉さが微塵もない。研究に最も大事なものがない。
何度ももったいないと言われたけど、謙遜とか遠慮じゃないんだと言い返す。

自らがどうしてもやりたくてこの学部に入ったわけではなく、
かといって大学に行かない勇気もなく、たまたま差し伸べられた手に従ったわけだけど、
そこにはあまりにキラキラした向上心と夢見る人が多くて、
その時点でレベルを下げていたわたしは温度差を感じたのは事実。

本当に自分の意見のない人生だと思う。


打てば響く方だとは思う。
反射的な思考は平均以上だと自負してるし記憶力も興味のあることに対してはいいと思う。

幼少期に年上に囲まれていた環境ゆえかもしれないが、目上から過大評価されやすい。
それにプレッシャーが伴うのはもう慣れっこで、答える必要はないのに大体答えて来た。
答えれば褒められるから。多分、ただそれだけの理由で。

ただ、それだけじゃ理由にならない、頑張れないことが大人になるにつれ多くなった。
そういうときに選択を強いられる、裏切るか苦痛に耐えるか。
今回は裏切る。この業界を仕事にして生きるのは不可能だ。
それなのに引き止められる日々に生意気にも自分の人生だ、と言ってしまいたくなる。



要領や反射神経の良さだって、一定以上の知識や常識を持ち合わせていないと鍛えられないことを大人はいつも忘れるんだ。いつだって「真面目にコツコツ」に重きを置く。
真面目や勤勉ばかりが必要な世界なら、要領の良さなんて手放してしまいたいと軽々しく思う。


自ら蒔いた種なのに、人の評価と自分の実感とのギャップに苦しむ愚かさ。
認められたいのに伴う苦痛を避けたがる幼さ。
無知は罪だと完璧を求めるプライドの高さゆえの逃げ。
これだけ俯瞰で見るくせして反省を生み出さない甘さ。


くだらない矛盾と葛藤をあまりにひとりよがりに抱えこんでる自覚はある。

でも、
吐いたところで
相談したところで
例えば、涙さえ流したところで
頼れるのは自分しかいないことも知っている。

なんて幼いと、思ってはいるけどそれでも。

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