写真は9歳のわたしと生後4ヶ月のラブ。
2015年9月26日12時5分。
絶世のかわいさで頭がよく、程よくふしだらで甘えん坊。
正義感は強いが気が弱く、誰にでも愛嬌を振りまく。
少し癖のある毛並みはいつもツヤツヤ、生まれつきの青い瞳で人の目を見つめる。
撫でる手を止めれば撫でろとお手の押し売り、
食事中は分けろと箸を持つ手に頭を乗せ、
出かける準備をすれば置いて行くのかと恨めしそうに見上げ、
母の横に座ると誇らしげに気高い表情をする。
スーパーの袋に顔を突っ込み、冷蔵庫に顔を突っ込み、ビニールの音に耳ざとい。
料理を始めればキッチンに控え、食卓には一番にスタンバイ。
うっかり何か落とそうもんなら一瞬にして奪われるし、テレビに気をとられつつ手に持ったおせんべいはいつの間にかなくなっている。
まったく油断も隙もない。年がら年中食い意地を張っていた。
大好きで大好きで、これまでのわたしの人生で何よりも好きだった。
三姉妹が並んで叱られていると、いつの間にか横におすわりをして神妙な顔つきで一緒に叱られているし
叱られるのが姉たちのときは、親の顔を舐めてなだめ
わたしだけのときは、まるで守るかのように親とわたしの間に座った。
人前で泣けないわたしの泣き顔を一番知っているのはラブだった。
山のように溜め込んだ感情を吐き出しながら流れる涙を、ラブは舐めてくれた。
寝転んだ背中に抱きついて、涙と鼻水を艶やかな毛にたくさん染み込ませながら、
ゆっくり上下するからだのぬくもりに安心して眠ってしまうのが常だったというのに。
誰をも許し、誰からも許されていた。
誰をも愛し、誰からも愛されていた。
死んでしまったラブは今にも起きだしそうで、並べていく無数の花を無惨に蹴散らかしてくれという願いは届かず、結局綺麗に並べられてしまった。
いつも通り背中から抱きつき寝てみても、上下することのないラブのからだが寂しくて寂しくて、結局また涙と鼻水を染み込ませることになった。
お母さんではなくあなたたちが育てるのよ。
可愛がるだけなら誰でも出来ること、育てるのはそういうことではないよ。
そう散々言い聞かされて飼い始めたのが9歳のころ。
まだまだ平らで真っ白い状態から13年半、一緒に育った。
本当に本当に、3人と1匹が一緒に育ったのだったと思う。
「これから1人で眠れる?」と姉に心配されて改めて、本当にずっと一緒に寝ていたのだと気づかされた。
どうにも出来ない絶望を抱きしめて引きずりながら生きていこうと思う。
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