今日を殴り書き。

2020年6月2日 22時40分

祖母が息を引き取った。

危篤と聞いて急いで新幹線に飛び乗った、また連絡すると母から来たのが1件目の病院を終える頃。

わたしは早朝から持病の治療に3件まとめて通院する日だった。
ずっと落ち着かなかった。

幸い仕事は出勤日数が減っている為いつでも行ける。
3件目の病院を終え真っ直ぐ帰宅し下着や黒いワンピースを用意して待機した。
いつ行くのか、と考えることが死に待つようで嫌だった。

結局、結局東京に住む私たちは来るなと言われた。
コロナのせいだ。

支度したものを片付け
なるべく日常を過ごし
早起きした分早く寝ようとベッドに入ったら
母から連絡が来た。

驚いた。
こんなに泣くとは思わなかった。
祖父の時は通夜も葬式も参加したが一度も泣かなかったのに。

少し落ち着いてから母に電話した。
励まさないと、とか言いながら
わたしが母の声を聞きたかった。

落ち着いていたのに声を聞いた瞬間また泣けてきた。
泣くなと言った母の声も
娘の涙声を聞いたせいかくぐもっていた。




昨年末わたしは病気をした。
健康自慢で食べることが生き甲斐のわたしがペラペラに痩せた。
毎年のようにお正月は集まるつもりだったが、こんな姿を祖母に見せて悲しませるわけには行かないという叔母と母の意見で、祖母には仕事ということにして行かなかった。

幸い治療は順調だった。
実家で母におさんどんしてもらい、祖母に会う為にもりもり食べた。
まるまる太ったわたしは、
もう長くないであろう祖母に春に会いに行くつもりだった。

そこでコロナである。
祖母の施設は面会禁止。
他県間移動はもっての外。

結局去年のお正月以来会えずじまいだった。

悔やんでも悔やみきれない。
それが涙の原因かもしれない。





あんたほんま食べるの遅いなぁと笑った顔も
いとこみんなではないちもんめをしたあの部屋も
離れるのが嫌で祖母の名前を付けた犬のぬいぐるみも
脳の手術をしたあの病院も
まだ食べてるのに空いた食器からどんどん下げて行くことも
オカマが嫌いなことも
いつも使ってた韓国の高い化粧品も
台所のふきんで床拭いちゃうことも
桐に漆塗りされた壁一面のタンスも
ご飯はすぐもういらんわって言うくせにアイスは死ぬほど食べることも
阪神はもうあかんわってテレビ消すことも
ふざけたこと言うおじいちゃんに飽きれながら愛しそうにすることも

全部全部わたしがちゃんと覚えてる。


5年前の今日、祖父が亡くなった。
同じ命日かよ。
予定運命かよ。
ふざけんな。

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